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数学サークルで聞かれた,英語力の上げ方に対する1つのありうる解答

*日常のやりとりなので文章が綺麗でないのはご容赦🙏 「英語力を上げる」のは,端的にいうと,意識的かつ継続的に努力することだと思います(筋トレみたいなものです.筋トレ真面目にしたことないから知らんけど).しかしこれではどういう方向に努力するかなどわからず,身もふたもない回答なので,もう少し細かく書きます.目的や現時点でのレベルにもよりますが,概して, (1)なるべく英語に触れる機会を増やすこと, (2)自分とは異なる他者の文化などを理解しようとする積極性や,コミュニケーション能力といったちょっとしたソフトスキル,   (3)自分の英語力が著しく低いことを素直に認めること(だが同時に決して自分の英語力を卑下しないこと) の 3 つがパッと思いついた感じ必要な気がします( 2 はあればベターって感じだとも思う).    それぞれ 3 つさらに説明を加えると次のようになると思います. ( 1 ) R,L,W,S の4技能はそれぞれ関係し合っているので,全体的に伸ばすのが良いと思いますが,僕は特に Speaking が弱かったので,ほとんど毎日オンライン英会話をしてました.英会話もそこそこ数があるので,初月無料や,初月 8 割引などを使い回すことで,安価で 1 年強続けることが出来ました(個人的には DMM 英会話が良かったです).これのメリットは,日常的に英語に触れられるだけでなく,朝にレッスンを設定することで健康的な生活リズムを作り出せる点ですね.英会話以外だと,パソコンやタブレットの言語設定を英語に変えたり,(もともとあまり関心なかったけど関心を持つようにして)寝る前に映画やドラマを少し見たり(以前少し書いた The Big Bang Theory は字幕がないのでいきなりは難しいかもです),洋楽を聴くようにしたりしました.自分の専門分野を英語で読んだりするのも悪くはないのかもしれませんが,それは別に英語として処理しているわけではないので個人的には気休め程度にしかならないと思っています. MIT や Stanford などが無料で公開している授業( Coursera? )を受けたり,興味のある研究者の動画を見たりするのは効果的な気がします. ( 2 ) 日本語というある種マイナー言語をわざわざ習得して日本で懸命に努力している外国の方の姿に感銘を受け,自分は彼(女)

科学史小話(後編)ほんの少し修正版

  人間の脳の一般的な限界として、過去における自分の理解の状態や過去に持っていた自分の意見を正確に再構築できないことが挙げられる。新たな世界観をたとえ部分的にせよ採用したとたん、その直前まで自分がどう考えていたのか、もはやほとんど思い出せなくなってしまうのである。                            ―ダニエル・カーネマン著、村井章子訳『ファスト&スロー あなたの意志はどのように決まるか? 上』(早川書房、2014年)、354–355頁。                                        目次 1. 多分解けないクイズ-私はだあれ 2. シンキングタイム-尺稼ぎにしては長すぎる  ・歴史・科学・科学史について 3. クイズの答え合わせ-驚きの事実?  ・科学者と自然哲学者、科学と宗教は対立しない 4. おわりに   *前編を読まずに後編だけでも読めるようになっています。 *脚注も含め,この記事を書いたのはかなり前ですが,前編だけ公開して後編を公開するのを忘れていたので最近しました.今ざっと眺めるだけでも微妙な箇所がたくさんありますが,(修正版の)修正をせずにそのまま公開しています.ご寛恕ください.   (再掲) 「神は永遠にして、無限、全能にして全知であります。すなわち、永劫より永劫に持続し、無限より無限にわたって遍在するのです。万物を統治したまい、生ぜられるまた生ぜられうる万事を知りたもうのです。」 「至高の神がかならず存在することはあまねく認められるところです。この必然性より神は『いずれの時』『いずれの所』にも存在するのです。」    この記述が誰のものか、というクイズを前回出したのであった。   3. クイズの答え合わせ―驚きの事実? *9  この記述は、ニュートンによるものであり、『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』 *10 の第三篇から引用した。  神の存在を認めていること、そしてその神が遍在し万物を司っていることを認めている点で、違和感を覚えた読者もいたかもしれない。また、クイズに正解した人の中にも、ニュートンは実は熱心なクリスチャンであった!と一足飛びに結論づけた人もいるかもしれない。以降で、ニュートンとその同時代人の職業に注目しながら、当時の知識人と現代において科学者とされる人々との違いを見て、そう

科学史小話(前編)ほんの少し修正版

    数学の歴史は、「数学者」もしくは「数学愛好家」のためにあるのではない。人間の文化的営為の歴史的性格、それが数学という個別領域の形成を通じていかに顕現されるかということは、特定の人間に属することではない。 ー森毅『数学の歴史』 目次 1. ちょっとしたクイズ-私はだあれ 2. シンキングタイム-尺稼ぎにしては長すぎる  ・歴史・科学・科学史について 3. クイズの答え合わせ-驚きの事実?  ・科学者と自然哲学者、科学と宗教は対立しない 4. おわりに   1.  ちょっとしたクイズ-私はだあれ  早速ではあるが、クイズから始める。  次の文章は、皆さんが必ず知っているある人物の著作からの引用である。絶対に知っている人物なので、誰であるか考えてみていただきたい。 ヒント:「歴史上一番有名な科学者は誰か?」というアンケートをすれば、間違いなくTOP5に入ると思う。   「神は永遠にして、無限、全能にして全知であります。すなわち、永劫より永劫に持続し、無限より無限にわたって遍在するのです。万物を統治したまい、生ぜられるまた生ぜられうる万事を知りたもうのです。」 「至高の神がかならず存在することはあまねく認められるところです。この必然性より神は『いずれの時』『いずれの所』にも存在するのです。」    おそらくヒントだけから答えを導くことになるものと思われる。第2章が思いのほか長くなったので、答えはだいぶ後にある。2章は飛ばしてしまっても良い。(クイズという体を取るため、出典は後ほど。訳はその出典から拝借。)   2.  シンキングタイム―尺稼ぎにしては長すぎる   答えを考えてもらう間に、この章では科学史がどのような学問であるか書いてみようと思う。 2-1.科学を対象とする歴史学、科学史  本記事は科学史についてであるが、そもそも科学史とはどのような学問であるか。     最初に述べておくと、学問としての科学史は、理工書のコラムのために存在しているのではなく、科学者の業績の単なる年表を作成するのでも、過去の人物の業績を称え上げるものでもない。  科学史は、科学を対象とする歴史学である。歴史学の中でも科学を対象とする、とのことだが、そもそも歴史学はどのようなものか、まずその目的、視点から述べてみる。   2-2. 歴史学について考える  歴史というと、高校までの学校教育

あなたは何を言っているの?

 /* 以下は真夜中にふと思い立って書いた記事で、この前の学祭で(哲学)サークルの会誌に載せた。(初めて自分の書いたものが冊子の一部になったので少し新鮮だった。会誌を作ってくださった皆様、フィードバックをくださった皆様ありがとうございました。)だが訂正が反映されないまま世に出回ってしまったため修正版をここに載せる(一応許可もらいました)。哲学サークルの会誌の中に一つだけエッセイが混じっていて浮いていたと思う。特に参考文献もなく、学術的な記事でもないのでキャッチーなタイトルにした。おそらくこれが私の最初で最後のエッセイだろう 。 */  相手が言っていることがさっぱりわからない時がある。相手としては、順序立てて論理的に話を進めているのに、である。そんな時、ひょっとしたら自分ではなく相手が単に頓珍漢で間違っているのではないかと思ってしまう。だが大抵の場合そうではない。  また、自分にとっては些細な違いでも相手にとっては大きな違いであることは往々にしてある。自分にとってどうでもいいようなことを、相手が何故そんなに重視しているのか不可解に感じるのだ。これは対象に対する、両者の解像度が異なる場合に起こりがちだ。  自と他は当然違うものであるから、相手を理解しようとする際には、自分の基準ではなく、相手となるべく同じような目線で物事を考える必要がある。至極当たり前のことだが、油断すると、自分の基準で相手を裁いてしまい、誤解をしたまま相手を理解した気になってしまう。そして相手の非合理さに困惑してしまうのだ。アカデミアでは昨今学際的な議論が好まれる風潮があるが、ただ異分野を徒に融合させるだけでは実りある議論は成り立たないのではないか。最低限ある程度の前提は共有していないといけないだろう。ここではそういった前提を共有できておらず、自分の常識や知識の範囲で相手を見てしまい話が噛み合わなくなる例を見てみる。    例えば、学問に対する目的意識が違うことがある。科学者の自伝などでは、好奇心や子供心を大切にし、学問それ自体を楽しむべきだとよく書かれ、新たな知識を得ることに学問の目的が設定される傾向にある。だが、学問それ自体を楽しみつつ、新たな知識を得て学問の発展に繋げようという立場からすると、例えばジェンダー研究はどういう点が楽しいのだろうかと感じてしまうかもしれない。社会や歴史的対象をジェン

『ゲーデル、エッシャー、バッハ あるいは不思議の環』読書会開催中

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https://www.hakuyo-sha.co.jp/science/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%80%81%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%80%81%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F-20%E5%91%A8%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E7%89%88/ /* 学祭でサークルの会誌にのせる用に書いたが、ゼミ紹介コーナーが設けられなかったので、ブログに載せることにする。このページも含めブログ全体で視認性を大幅に改善する必要がある。 */   本書は、ゲーデル、エッシャー、バッハ自身に着目するというより、彼らの功績に共通して見出せる「不思議の環」という性質に注目して論を進めています。何を言っているのかよくわらないと感じるかもしれませんが、その感覚は正しいです。実際、本屋や図書館では、人工知能、数学基礎論、情報読み物、認知科学、科学哲学など置かれる場所は多様で、どの分野に属するか一言では言い表せないような領域横断的な本と言えます。人生で一番面白かった本、と絶賛する教授も複数名おり、なんと早稲田大学には17冊(!)の蔵書があります(原著、ドイツ語訳含む)。   本の主題としては、ゲーデルの不完全性定理を根底に、無機質な物質や記号からいかにして、知能や意味が生まれるかを考えます。具体的には、脳は神経細胞などからなる単なる物質にすぎないのに、なぜ思考や意識のような非物質が生まれるのか、お、は、よ、うという記号を合わせることでなぜ意味が生まれるか、といったことを考えます。ここでは自己言及という概念が重要で、考える材料としてパラドクスや騙し絵、言葉遊びが頻出します。   なんだかよくわからないけれど面白そうな本ではないでしょうか。 実際、約800ページもある分厚さから、MITの講義では、Thick Monsterと呼ばれています。難解なこの本をじっくり時間をかけて楽しむ機会は、学生である今しかないのではないでしょうか。 現在、参加者を新たに募集中です(大学・学部・学年問わず)。前提知識も特段不要で、躓いてもサポートできるので、途中参加もしやすいです(Google Documenで一応レジュメを作ってます)。 興味あ

図書館の紹介(主に早稲田大学)

《目次》 1.      はじめに 2.      早稲田大学図書館全体で共通する話 3.      各図書館・読書室の個別の話 (ア)  図書館 (イ)  学生読書室 (ウ)  教員図書室 (エ)  その他の図書室 4.      番外編 5.      終わりに 【はじめに】  早稲田大学には、教員図書室も含めると20以上の図書館・読書室がある(https://www.waseda.jp/library/libraries/room/)。身近にあるので、その凄さは実感できないかもしれないが、早稲田大学の図書館はかなり優れていると言える。洋書は比較したことがないが、和書は結構充実していると思う。新刊を含めて、所蔵されている本にアクセスしやすい点が国立大学の図書館との違いだろう。  私はよく図書館を利用しており、学部生が入ることのできる場所はほとんど全て入ったのではないかと思う。今回は6月のアドベントカレンダーとのことで、まだそれほど早稲田の図書館の勝手に慣れていない御仁もいらっしゃるかと思い、図書館紹介の記事を書いてみることにする(早稲田の学食や生協もほとんど全て行ったことがあり、そこそこ詳しかったりする。学食はグランド坂と所沢、生協は理工書籍部とブックセンターが個人的には気に入っている)。公式情報はサイトを見ればある程度わかるだろうと思い、一学生が実際に使っていて気づいたことを中心に気ままに書き連ねようと思う(主な読者は学部1年生を想定しているが、1年生以外であっても少しでも役に立つ情報があればと思う)。  あまり使っていない場所や、最近行っていない場所だと誤った情報が含まれているかもしれないが、ざっくり受け止めていただければと思う。図書館紹介というより、個人の日記・体験記、tips集みたいになった感がある。ブログだからこれでも良いのか。(書いて1ヶ月後くらいして見直したところ、あまりに内容が薄くて愕然とした。) 【早稲田大学図書館全体で共通する話】 一度に借りることが可能な冊数 早稲田大学は、学部生は一度に15冊の本を借りることができる。10冊という大学も聞くので、比較的多いのではなかろうか。一度に15冊も借りてでかいカバンに入れて持ち歩いていると、テロ警戒中の警察官に職務質問を受ける可能性がある(確かにGEBは鈍器になるかもしれないが…)。経験上、書籍の一部