科学史小話(後編)ほんの少し修正版


 人間の脳の一般的な限界として、過去における自分の理解の状態や過去に持っていた自分の意見を正確に再構築できないことが挙げられる。新たな世界観をたとえ部分的にせよ採用したとたん、その直前まで自分がどう考えていたのか、もはやほとんど思い出せなくなってしまうのである。                           
―ダニエル・カーネマン著、村井章子訳『ファスト&スロー あなたの意志はどのように決まるか? 上』(早川書房、2014年)、354–355頁。                                       



目次

1. 多分解けないクイズ-私はだあれ

2. シンキングタイム-尺稼ぎにしては長すぎる

 ・歴史・科学・科学史について

3. クイズの答え合わせ-驚きの事実?

 ・科学者と自然哲学者、科学と宗教は対立しない

4. おわりに

 

*前編を読まずに後編だけでも読めるようになっています。

*脚注も含め,この記事を書いたのはかなり前ですが,前編だけ公開して後編を公開するのを忘れていたので最近しました.今ざっと眺めるだけでも微妙な箇所がたくさんありますが,(修正版の)修正をせずにそのまま公開しています.ご寛恕ください.

 





(再掲)

「神は永遠にして、無限、全能にして全知であります。すなわち、永劫より永劫に持続し、無限より無限にわたって遍在するのです。万物を統治したまい、生ぜられるまた生ぜられうる万事を知りたもうのです。」

「至高の神がかならず存在することはあまねく認められるところです。この必然性より神は『いずれの時』『いずれの所』にも存在するのです。」

 

 この記述が誰のものか、というクイズを前回出したのであった。

 

3. クイズの答え合わせ―驚きの事実?*9

 この記述は、ニュートンによるものであり、『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』*10の第三篇から引用した。

 神の存在を認めていること、そしてその神が遍在し万物を司っていることを認めている点で、違和感を覚えた読者もいたかもしれない。また、クイズに正解した人の中にも、ニュートンは実は熱心なクリスチャンであった!と一足飛びに結論づけた人もいるかもしれない。以降で、ニュートンとその同時代人の職業に注目しながら、当時の知識人と現代において科学者とされる人々との違いを見て、そうした違和感を幾らか解消していく。

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*9 本章は主に、伊勢田哲治『科学哲学の源流をたどるー研究伝統の百年史』(ミネルヴァ書房、2018年)と村上陽一郎『科学者とは何か』(新潮選書、1994年)を参考に書いている。

*10 ニュートン『世界の名著31 ニュートン』河辺六男訳(中央公論新社、1979年、pp.562–563)

 

3-1. ニュートンは科学者ではない

 クイズと一緒に、「ヒント:『歴史上一番有名な科学者は誰か?』とアンケートを取れば、間違いなくTOP5に入ると思う。」と書いたが、これはミスリーディングであり、ニュートンは科学者ではない*11。理由は単純で、ニュートンの活躍した時期にそもそもscientistという言葉自体存在しておらず、また、その名で呼ばれるような職業も生業として確立していなかったためだ。

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*11私はクイズを出したタイミングで、答えの人物が科学者だとは言っていない。

 

3-2. scientistという語の誕生

 scientistという語は、1830年代にウィリアム・ヒューエル(1794~1866)が初めて使ったとされる*12。伝統的な「哲学」とは異なり、「科学」という特殊な知識だけを「専門的・職業的」に探究する人の出現を受けてのことである。では、(A)scientistという言葉が誕生したことで急に科学者集団が誕生したのか、それ以前に同様の活動をしていた人々は存在しなかったのか、(B)科学者でないならニュートンは一体何であるか、という問いが自然に生まれる。以下で、これらの問いに答えていく。

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*12 scienceやscientificという言葉は、現在と意味合いはだいぶ違うものの、それ以前から存在していたそうだ。

また、physicistという言葉も同時期にヒューエルによって導入されたようだ。彼は他にも、地質学における「天変地異説(catastrophism)と斉一説(uniformitarianism)」という理論の名称や、「陰極(cathode)」、「陽極(anode)」、「イオン(ion)」など、科学における多くの新語を造っている。

 

3-3. 自然哲学者と科学者*13

 まず(A)の問いに答えると、科学者と呼ばれる職業人の誕生は19世紀であるが、それ以前にも自然探究は行われてはいた。だが、それらは裕福な医師、聖職者、商人、貴族(地主)などが、余暇に趣味として行っていたに過ぎず、彼らは自他ともに「自然哲学者*14」と称していた。自然探究という観点から見れば、科学者も自然哲学者も似たもの同士と感じるかもしれない。だが、(a)パトロンの有無や(b)自然探究の方法や動機に関しては大きく異なっている。

 まず、(a)パトロンの有無について。先ほど述べたように、自然哲学者は、本業が別にあって、余暇として私費で自然探究を行っていた*15。一方、科学者は、アマチュアではなく職業として活動しており、国家や組織からの資金援助があった。

 次に、特に注目すべき点である(b)自然探究の方法や動機について。自然哲学者には、「世界は完全なる存在である神が作ったものであり、神の被造物たる自然の背後には美しい法則性が隠されているはずだ。その背後に隠された法則性を見つけ出して、神の偉大さを明らかにしよう、再確認しよう」という動機があり、思弁的・哲学的議論を行っていた*16。一方、科学者にとって、神という概念は棚上げされており、神の偉大さの確認が活動の直接原因となることはなかった。また、思弁的・哲学的議論によるのではなく、厳密性と実験的研究とを重んじていた。

 実際、カントが宇宙論を、ゲーテが色彩論を著したように、今から考えると過去の人物の知的探究の範囲がとても広く見えることは、当時の人々にとっては、自然探究の動機が違っていたことにある。探究動機が異なるため、当時の人々の研究対象と現代の我々が想定する科学者の研究対象は必ずしも合致しないのだ。

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*13 この節は特に、成定薫「科学者―学問の自由と社会的責任の間で」日本科学史学会『科学史辞典』(丸善出版、2021年、p.34)を参考に書いている。

*14 ここでの自然哲学者は、古代や中世の哲学者を想定していない。

*15 中島秀人『社会の中の科学』(NHK出版、2015年、p.98)によると、ニュートンがしていたケンブリッジ大学のルーカス教授職、あるいはオクスフォード大学のサヴィル教授職のように、数学や自然学を担当する教員は大学にいた。だが、それは非常に例外的だったようだ。

*16 神を自然ではなく聖書に見出そうとしたのが聖職者。

 

3-4. 自然哲学者ニュートン

 次に、(B)ニュートンが科学者でないなら何であるのか、という問いに答える。その答えこそが、先ほど述べた自然哲学者である*17。ニュートンが1727年に没している以上、1830年代に造られた科学者という言葉で呼ばれることがないのは当然ではある。だが、単に言葉がなかっただけでなく、ニュートンの知的探究の範囲は、力学、光学、数学にとどまらず、科学者が真剣に扱うことのない聖書年代記や錬金術など、多岐にわたっていた。実際、ニュートンは晩年、錬金術に熱中して賢者の石の研究を行なったり、聖書研究の結果、“2060年まで世界は滅びない”と予言したりするなど、現在の科学者像と見比べると、異質に感じられる側面も多いかもしれない。山本 (2021)によると、経済学者のケインズは、手稿を蒐集してニュートン研究も行っており、ニュートンのことを「最後の魔術師」とさえ呼んでいる。意外に感じるかもしれないが、ニュートンは、魔術や秘教に物理学と同じように真面目に取り組んでいたようである*18

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*17 ニュートンは、その生涯で自他ともにscientistと称したことはない。

*18 山本義隆『重力と力学的世界』(ちくま学芸文庫、2021年、pp.273–274)

 

3-5. 宗教(キリスト教)とのつながり

 こうしたニュートンの仕事は、神がこの世界をどのように創造したのかを理解しようとする営みの中のものであった。

 ニュートンだけではない。現在では、偉大な科学者として取り上げられがちな、コペルニクス(1473~1543)やガリレオ(1564~1642)も科学者ではなく、自然哲学者である。特にガリレオは、過去の伝統に縛られた野蛮なキリスト教と戦った英雄として書かれることが多い。だが、ガリレオは熱心なキリスト教徒であり、ガリレオ裁判は、科学vsキリスト教という構図ではなく、キリスト教内部の話なのである。

 宗教と科学は、本来真っ向から対立する関係になく、科学の源流ともいえる自然哲学は、キリスト教における神なしで考えることはできない。現代では、宗教は科学と真っ向から対立するもので、非合理で時に人々を惑わす悪しき存在であると捉えられることもある。しかし、元を辿れば両者は密接に関係しており、切り離して語ることはできないのだ。また、今の社会においても、科学は宗教と似た構造を持っていると私は考えている*19

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*19 以前は例を挙げながら雄弁に、「科学者と一般市民」の関係性が「聖職者と信者」の関係性に似ているよね、といった話を書いていたが、自分が使っていた例が気に入らなかったので今回は自重させてもらう。「科学と宗教」は有名なトピックなので、詳しくは例えばThomas Dixon著、中村圭志訳『科学と宗教』(丸善出版、2013年)などを参考にしてください。新書なので読みやすいと思います。

 

4. おわりに

 ニュートンに限らず、過去の人物を現在の見方で判断していては、実際の過去の人物の有り様は見えてこない。あらゆる人間は特定の時代の文脈の上に生きているのに、そのことを棚上げにして過去について現在の視点から判断していては、誤った認識をしてしまうのだ。深く考えることなく気軽に歴史について語られることも多いが、時間や空間を扱う相対性理論を難しいと感じるように、時間を遡って過去を扱うともいえる歴史(またそれを記述すること)も同様に難しいことだと理解すべきだと思う。そして、歴史について語る際はもっと意識的に慎重になるべきである。当時の社会的・文化的状況に肉薄して、過去を内在的に理解することは非常に難しいことなのだ。

 

文献紹介

 しっかりとした歴史の記事を書くのなら一次史料に必ずアクセスしなければならないが、本記事ではしていない。関心を持った方はちゃんとした科学史家の本を読む方が良いので、タイトルを「科学史への誘い」としてしまった手前、少しだけ文献紹介をする。

 

(1)中島秀人『社会の中の科学』(NHK出版、2015年)

科学史・科学論の入門書として最適。放送大学の教材なので読みやすい。

(2)古川安『科学の社会史』(ちくま学芸文庫、2018年)

西欧における、科学と社会の相互作用や科学の社会的・文化的側面の歴史についてよくまとまっている。アメリカ科学史学会から「英訳する価値のある本」と評価されており、日本の授業でもよく使われている。

(3)隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』(星海社新書、2018年)

「文系・理系」に関する単なる感想文が多い中、本書は17世紀フランス科学史が専門の研究者によって書かれており信頼がおける(*学問史も科学史という分野の射程に含まれている)。キャッチーなタイトルの新書ではあるが丁寧に論が展開されている。

(4)日本科学史学会編『科学史辞典』(丸善出版、2021年)

科学史・科学論に関する基本的なトピックをそれぞれの専門家がコンパクトに書いている。非常に幅広いトピックが扱われているため、これを眺めれば、科学史研究の全体像がざっくり掴める(1トピックにつき2~4ページで、途中からでも気軽に読める)。中央図書館だけでなく、戸山図書館B1にもあり,後者は貸出可能なはず。

(5)広重徹『物理学史』(培風館、1968年)

近代科学の成立あたりから、可能な限り原典を参照しながら書かれている学説史。少し昔の本ではあるが、今でも物理学史における必読本。著者は湯川秀樹のもとで素粒子論をしていたが途中で科学史家に転向した(少し前の科学史家は物理学科出身者が多かった)。

(6)Lorraine Daston, Peter Galison(瀬戸口明久・岡澤康浩・坂本邦暢・有賀暢迪訳)『客観性』(名古屋大学出版会、2021年)
科学における対象認識方法の変化を、非常に大きな視野で描いている科学史(or科学哲学)の専門書であり、2007年に出た原著が少し前に翻訳されて科学史に限らず様々な分野に影響を与えている。対象認識の際に想像力を働かすか、それとも一切の想像を排するか、何をもって「客観的」とするのかも時代によって変化しており、「客観性」という概念にも歴史がある(「主観性」という概念も同様)。そして、科学的客観性は科学革命と同時期ではなく、それに遅れて登場したことが述べられている。


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